安倍氏が凶弾に倒れてから早二か月。この間国内外では様々な動きがあり、まさしく激動の日々であった。しかしこれ以前も激動であったし、これ以後も激動となるに違いない。そういう時代なのである。
さて、安倍氏を射殺したと思われる山上容疑者であるが、宗教絡みの恨みからの犯行であるという。
宗教。
この文言が出るだけで事は厄介になる。
献金の問題やら宗教に人生を狂わされたやら、出るわ出るわ容疑者の悲しき過去。そして人々はメディアに扇動されて、山上はなんて可哀そうなんだ。統一教会許すまじ。安倍晋三は自業自得。などという妄言が蔓延ることとなる。実際そうなった。
理由はどうあれ、犯罪者は犯罪者である。そもそも安倍は統一教会の経営者でも幹部でもなんでもなく、当て嵌めるならば信者か、支持者かがいいところであって、復讐の対象にはなり得ない。となれば最早逆恨みからの犯行と何ら変わりなく、情状酌量の余地はない。
そもそも今回槍玉に挙げられた政治家と統一教会の関係であるが、違法ではなく、政教分離に則っているものである。グレーではあるが、問題ではない。なぜならば、今回の場合は個人の信心の自由の範囲内であるからだ。
例えば政治家Aが、個人の判断で宗教団体Bにビデオメッセージを送った。
果たしてこれは法に違反するのか。しないのである。
そして宗教団体Bは、政治家Aに投票するようにと、信者たちに呼びかける。
さて、これは違法か。違法ではないのである。
批判される行いではあろうが、合法の範囲内である。政治家Aが宗教団体Bにビデオメッセージを送ったことと、宗教団体Bが政治家Aに投票するよう呼びかけたことに因果関係は存在しないのである。すべては暗黙の了解であって、忖度である。金銭的なやり取りがなく、また書面でのやり取りという『証拠』でも出てこない限り、黒ではないのだ。疑わしきは罰せずである。
このような組織票を政治家が活用するのは、今に始まった話ではない。自民党どころか各政党各議員、各々の裁量によって組織票は使われているのである。
今回政治家と宗教の絡みによって表沙汰になったが、他宗教関連でない団体もまた組織票を行っているのだから、何の問題があるであろうか。宗教は無駄に盲目的で使い勝手の良い従順な人間が多いから、利用しやすかった。ただそれだけのことである。
こんなことで騒いでどうすんのさ。馬鹿じゃねぇの?
問題であると思うのであれば、法律を変える他ないが、組織票とそうでない票を、どうやって見極めようか。
実際実現不可能である。
そもそも秘密投票の原則がある以上、組織票があったかどうかなど、知りようのないことである。
また安倍の国葬についての是非が云々とあるが、大いにやればよろしいと思う。そもそもあれは対外的なアピールであって、儀式であって、安倍を神格化するものではない。テロに屈しないという姿勢を見せるためのものであるから、税金の無駄などと言って騒ぎ立てるのは、物知らずであることを曝すだけになるので辞めたほうがよろしい。
このように事あるごとに我々の血税が云々とほざく連中は、政治がどういうものなのかを一つ学び直してくるとよいだろうと思う。
それはそれとして、おい足立正生。こんな映画を作りやがって。恥を知れ恥を。まだ容疑者でしかないコイツの映画を作ってどうすんだ?それを安倍の国葬当日に上映するだって?何がしたいんだよ。センスないよ、お前。山上にかつての青春でも見たのかい?